−−2人のロシア人、セルゲイ・ボドロフとルスタム・イブラギムベコフとの共同脚本の作業は、どういう分担で進められたのですか?

「彼らがいなければ、私はこの映画の脚本を書くことができなかったでしょう。この映画のテーマが歴史的な面においても重要だということを、私に納得させてくれたのがボドロフでした。私たちは5日間一緒に過ごし、話の大まかな筋と主要人物に形を与えました。それをプロデューサーに話したところ、彼は“賭けよう”と叫んでくれました。その後、私はルイ・ガルデルとテーマを発展させ、30枚ぐらいの脚本を書きあげたところに、ボドロフがパリに戻ってきて、そしてルスタムがメンバーに加わったというわけです」

−−彼らがもたらしたのは、どのようなものだったのでしょう?またこの共同作業からどんなことを学びましたか?

「彼らとの仕事は、相互授与の非常に楽しいものでした。ロシア人たちは私たちのロマンティックな気分を、まったく思いもよらない現実に置き換えてくれました。私たち、西側の人間の見地というものを壊してしまったのです。たとえば、共同住宅の内部のシーンを撮るとき、私は相当うきうきしていました。有名作家や娼婦、郵便配達人、牛乳配達人など、25〜30人ぐらいの人間を一ヵ所に集めて、その集団の中から起きること、裏切りや不信、それに愛、友情、連帯などを見つめるのです。私には、それは信じられられないくらいドラマティックな舞台装置に思えたのです。しかし、もしもそこで子供時代を過ごしたあの2人がいなかったら、あの共同住宅のシーンにあれほどの真実味をもたらせることは、決してできなかったでしょう。彼らは、あらゆる面ではっきりとした真実性をもたらせてくれました。その一年間というもの、私たちは連絡を絶やすことはありませんでした。パリからモスクワへ、バクーからロサンゼルスへ、話しあいが交わされました。私たちはこの共同作業によって、双方の反論を尊重しながら進めるということを学びました。こうして脚本には、私ひとりなら絶対に思いつかなかったろう、セルゲイとルスタムによって提案された、とても重要な考えが盛り込まれました。劇中、アレクセイは体制の非道さに気づき始めた瞬間から、ひたすら妻を救うという考えだけで行動するのですが、その考えを妻と共有することはできません。危険は途方もなく大きいからです。そこで彼は妻に嘘をつき、別人のように振舞い、エリート党員のふりを装いながら、妻を自由へと解き放つ瞬間を待ち続けるのです。繰り返しますが、この映画はロシアの脚本家のおかげ、ロシアの技術スタッフ、ロシア、ウクライナ、ブルガリアの俳優たちのおかげで完成した映画です。彼らこそが、この映画に歴史的な事実背景、また心理的背景を保証してくれたのです」

−−双方の摩擦みたいなものはなかったのですか?

「確かに、双方譲らない対立というのはありました。私は、ロシア人にもフランス人にも満足できるような脚本を仕上げることにチャレンジしましたが、その一方でロシア側から最終的な白紙委任状を受け取ることに固執しました。ロサンゼルスで最終段階の詰めをしましたが、その10日間というもの、私たちはもう一度、脚本のすべてを検討し直しました。すると、とうとうルスタムはこう言ったのです。“私ならこうは書かないけど、受け入れますよ”と。こうやって脚本を練る作業は、私にとって冒険のように心躍るものでした」

−−オレグ・メンシコフはフランス語を満足に話せませんが、どうして彼はそんな言語で演じることに挑もうとしたのでしょうか?

「メンシコフは舞台でも、映画でも自分の演じたい題材を選ぶのですが、彼がアレクセイ役を引き受けたのには二つの理由があると思います。その一つは、ソ連では『インドシナ』が桁外れの人気作品だということ。この映画はロシア人の魂に響く何かがあるのでしょう。二つ目は、フランスの俳優と共演したいということでした。共産主義の最悪の時代でも、ロシア人は何本かのフランス映画、たとえば「アフリカ人」“L'Africain”(84/日本未公開)といったコメディを見ることができました。そして、そのヒロインを演じたカトリーヌ・ドヌーヴは彼らに夢を与えたのです。それはまさしく至福のひとときでした。俳優としてオレグが興味を抱いたのは、秘密、沈黙を演じることでした。つまり10年間というもの、偽りの自分を見せ続け、映画がまさに終ろうというときになって初めて本当の姿を見せる人物を演じるということです。オレグは曖昧ながら、多様性のある俳優です。どちらかといえば、ひっそりと後ろに立っているというタイプですが、むしろ自分自身や感情をさらけ出すことを拒否することによって、すべてをあからさまにするのです。たしかに彼はフランス語を一言も話せません。それで台詞を音で覚えたのですが、その結果には驚かされました。それはまさに言葉の音楽演奏だったからです。彼が優れた音楽家であることは知っておいた方が良いと思います。ヴァイオリンを習い、ピアノを弾き、歌を歌うのですから。監督にとっては手ごわい相手です。私は何度かモスクワに出向き、彼にフランス語のレッスンを受けるように勧めたのですが、拒絶されました。“I Shall be Ready(大丈夫、うまく間に合わせますよ)”。彼はスター、無理強いはしないほうがいい、信頼するより仕方がないと思いました。サンドリーヌは撮影直前、フランス語で演じることがまったくできない相手を前にして、とても心配していました。ところが、カメラが回り出すと、どうでしょう、彼は私たちとまったく同様にフランス語を話し出したのです。オレグは私たちをびっくり仰天させました。彼は実にユニークな方法で台詞を頭に入れていたのです。そのシーンの台詞を丸暗記するのに、彼には四日間必要でした。そして撮影前夜に、彼はそこから音楽のメロディを引き出したのです。楽章ごとに練りをかけるという、まるで科学者のような細心さで練習を続けたというわけです。彼は私たちと一緒に夕食をとることはなかったですし、いつも距離を保っていました。友達づきあいが持てないというタイプの人間なのですが、それがひとたび“よーい、スタート”の声がかかると、何とも言えない素晴らしい存在になるのです。そして“カット”の声がかかれば、もうそれでお終いなのです。私は彼のやり方を認め、好意を持つことを学びました。満足できたからです。彼はとても自尊心の強い俳優で、自分がうまくできるものしか、やろうとしません。自分の最高の成果しか人前にさらそうとはせず、影では何も言わず、黙々と勉強しているのです。オレグのような人間を私は他に知りません。あの完全に不透明で、同時になめらかな表情は特筆すべきものです。この映画が彼にとって、政治的行為とか共産主義に対して、何らかの証言を意味しているなどとは思ってはいけません。まったく違います。彼はただ単にひとりの俳優であり、そしてまったくハッタリがききます。彼のことを昔から知っている(ニキータ・)ミハルコフと話したことがありますが、同じことを言っていました。人間メンシコフはひとつのミステリーだと」