−−収容所でのマリーの生活を描かなかったことは賛成しますか?

「私は、収容所のシーンを書いたことを覚えています。サンドリーヌと女囚の凄惨なシーンです。しかし、脚本があまりに長くなったせいで、カットしなくてはならなくなったとき、私はその決定に従いました。今日の観客は収容所の日々がどんなものだったか、充分に想像できると思っています。ロシアでは収容所を描いた映画があまりに多く公開されすぎて、私たちはもう教えてもらうことは何もないという感じなのです。要は、6年間収容所にいて、そこから出てきた女性はまったく別な人格の人間になっているということを、観客に感じてもらえればいいのであって、それは充分に表現できていると思います。人々が決して取りあげないテーマ、それは収容所後のことです。もう二度と、もとの普通の生活に戻ることが不可能だというのが、この作品のテーマなのです」

−−『イースト/ウエスト』(東と西)というタイトルをどう思われますか?

「私たちが考えたタイトルの中では、“黒海”が好きだったのですが、『イースト/ウエスト』の方がより効果的だと思います。状況のすべてが、的確に要約されているタイトルです。30年間、世界は鉄のカーテンで二つの陣営に分かれていたという状況が」

−−脚本を書きながら、あなたにはルスタム・イブラギムベコフとともに共産体制を告発するという気持ちはなかったのですか?

「作家としての私たちの立場ははっきりしていると思います。私たちが共産体制を憎んでいるのは当然のことです。しかし同時に、その制度の中で生きてきたのです。あたかも巨大な監獄の中で生きてきたように。私の子供時代には、モスクワからウラジオストックに行くには汽車で10日間かかりました。ですので、時には自由への幻想を持つこともありましたが、国境を越えるなどということは決して考えませんでした。西側へ行くなど夢にも思えなかったのです。フランスもアメリカも知ることはないだろうと。青春時代に私を締めつけていた絶望的な気持ちが思い出されます。それがゴルバチョフが権力を握り、初めて自由に自己表現が許されるようになったとき、ロシアの作家や監督たちは長い長い間、心に秘めていたことを外に出したのです。公表されたものはすべて、恐ろしい卑劣な現実を暴きました。私たちは証言をするのに性急でした。なぜなら、いつ新しい政権がいつつぶれるだろうかと怖れたからです」

−−フランス側の脚本家との共同作業はいかがでしたか?

「脚本を書きあげていくうちに、フランス人が私たちのメンタリティを理解するのに困っているということが判りました。私たちロシア人にとって、共産主義はひとつのコメディなのです。ばかげた、ナンセンスな支配のことです。こうして距離をおいたところで、私たちはスターリンを途方もない茶番劇の操り人形として思い浮かべ、笑い飛ばすことに決めたのです。これは私たちの生きる知恵なのですが、外国人には理解しがたいのでしょう。そんなわけで、私の一番の気遣いはレジスがロシアの魂の中に入り込めるよう、手助けをしたいということだったのです。そうすれば単純化が避けられるからです。結果には完全に満足しています。『イースト/ウエスト』を見たとき、私はロシアの映画を見ているような印象を受けました。ロシアを舞台にした西側の映画はいつもとんちんかんなものですが、この映画には間違いや非常識が見受けられませんでした。すべてが的確で、素晴らしいものだと思います」

−−あなたから見て、この脚本に自分が提供したと思われる大きなものは何でしょう?

「今となって振り返ってみると、これは誰の考え、あれは誰のアイディアと言うのはとても難しいことです。みんながそれぞれ自分のことをたくさん持ち込み、つけあわせました。思うに、私がサーシャという人間を創り出したのではないでしょうか。最初、レジスはマリーには二人の子供がいて、彼女の息子が泳いで逃亡するというふうに想定していましたが、私はすぐさま、逃亡劇は家族の枠外で設定したほうがもっと面白くなると思いました。ですから、私は17歳の青年サーシャがマリーに恋し、彼女のエネルギーで逃亡に成功するというアイディアを提供しました。もし自分が監獄に入っていて脱出できない状態にあったとき、できることはただひとつ、別の囚人が脱出するのを手助けすることです。ひとりの人間の命が他のすべての命を代表する。この犠牲の精神は、ロシア文学の中に脈々と流れているものです」