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−−ロシア側の人たちにスターリン体制を告発しようという気配はありましたか?
「告発という形ではまったくなかったですね。彼らはこの脚本を書きながら、あの凄まじい共産主義体制をもう一度はっきり断罪する機会を見つけ、それを盛り込もうなどという気配はありませんでした。私たちは一度だって、彼らからそういう感じを受けたことはありませんでした」
−−彼らとは収容所について話したのですか?
「よく話しました。彼らの世代のロシア人は、収容所へ送られた人たちのことをよく知っていますが、決していきり立ったような調子で話すことはありません。彼らは、共産主義が歴史の悲劇だったという意識を持ち、どれだけの人が収容所へ送られたかを知っており、その凄まじさを聞いています。しかし、彼らがこの過去を語るとき、あらゆるイデオロギー論争を避けようとします。西側から見たソ連を原則論で、ある時代だけを取りあげて、判断を下し、それがひとつの証言になることを恐れていたようです。彼らはよくこう言いました。“あなたたちはそう言うが、それほど単純なことではないのですよ”と。彼らにとって大事なことは、私たちのストーリーが共産主義の幼稚な告発に終わってしまわないようにすることでした。登場人物は怪物などではなく、男であり、女である、良い面も悪い面も持ち併せた普通の人間として描かれることを望んでいました。もちろん“残忍なもの”、つまり警察やKGBのメンバーを除いてですがね」
−−映画では主人公のマリーは6年間収容所に閉じ込められますが、どうして収容所のシーンを入れなかったのですか?
「それは私たちの間でも激しい議論になりました。ロシア側の人たちはむしろ収容所を撮った方がいいという意見でした。彼らは私たちに何とも凄まじい話をしてくれました。そこでは生き延びるために、女囚が多くの愛人を作り、所長と寝て、仲間を裏切り、まさに“畜生”のように振舞ったというのです。けれど、そう語る彼らには、そんな話はまったく“ありきたり”のようでした。レジスと私は、収容所の再現はそれだけで一本の映画のテーマになり、映画全体のトーンとは調和しないという判断を下したのです」
−−カトリーヌ・ドヌーヴの役柄には、誰か特定のモデルがあるのですか?
「何人かを集約したものです。最初、TNP(国立民衆劇場)の大女優という着想がありました。というのも、ヴィラール(ジャン。当時のTNPの総支配人で、優れた演出家)がこの頃、よくソ連公演をしていたからです。次いでシモーヌ・シニョレのことも考えました。歴史的背景には充分な裏付けがあります。シニョレがソ連旅行中、多くの人から逃げ出せるよう、助けてくれと懇願された話は有名です。ショックを受けたシニョレはアラゴン(ルイ。詩人、作家、共産党員でフランス知識人のリーダーだった)に会いに行き、ある反体制分子の妻の悲惨な状況を知らせ、こう言ったのです。“この女性に会ってから、私はもう眠れなくなってしまって”と。それを聞いたアラゴンはこう答えたというのです。“シモーヌ、ぼくはここ20年来、眠っていないのだよ”と。そして結局、彼はまったく何の手だてもうちませんでした」
−−あなたにとって一番自慢のシーンはどれでしょう?
「特別にどことあげるのは難しいけれど、映画の最終部分はとてもうまく機能していると思います。サーシャの脱出、泳いでいるシーンとマリーの尋問の交錯、収容所への出発、フランス女優ガブリエルの介入、ラストのサスペンス。この大詰めの部分はまったく無駄がなく、ドラマの盛りあがりもとても絶妙だと思います。まさしく職人芸の出来栄えですよ」
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