私はジェイムズの文学世界の中で素晴らしい時間を過ごすことができました
−−あなたはロンドン大学で文学を学んでいらっしゃいますが、それが文学作品の脚色に繋がっていると思われますか?

「私自身、文学作品の脚色など、まったく興味がありませんでした。だいたい、映画に興味がなかったのです。というのも、イギリスの後、インドで暮らしていたのですが、あそこでは古典や芸術的な映画を見る機会などまったくありませんでしたから。ところが、マーチャントとアイヴォリーがインドへやって来て、私の小説を映画化することになったとき、ふたりが脚本を書くよう私に勧めたのです。これが私と映画との最初のきっかけになりました」

−−あなたが文学作品を脚色する主な目的は何でしょう?

「楽しい時間を過ごせるからです。つまり、その作品の文学世界に積極的に関われるからです。『金色の盃』(『金色の嘘』の原作)の世界の中でずっと時間を過ごせるなんて、素晴らしいと思いませんか?ほかの作家の小説の脚色もいろいろやりましたが、特にジェイムズは人物の性格描写が素晴らしいし、強烈なドラマのセンスがありますから、私はただそれを引き出せば済むのです」

−−その喜びを観客と共有したいというわけですね。

「そう、その通りです。そしてそれは、同時にその作家への敬意を表すことになると思います。私自身、批評はまったくやりません。ただ優れたものに敬意を表したいから、脚本にするのです。作品に対する批判的な視点は絶対に書き込めないし、また観客にサーヴィスしようとして、作品をゆがめることもいたしません」

−−映画監督のジャック・リヴェットが1974年にこう言っています。「ジェイムズは“映画化が不可能”な作家のひとりだ。斜めからしか映画化ができない。テーマを取りあげることは可能だが、文学世界そのものは取りあげられない」と。あなたはもちろん反対なさるでしょうけれど。

「いいえ、まったく賛成です。小説の映画化は全部そうだと思います。テーマは取りあげることはできますが、小説そのままを忠実に移し変えるということは絶対にできません。もしも、それで文学世界を脚本に移し変えたつもりでいても、きっと安っぽい模造品にしかなっていないはずです」

−−最近のジェイムズの映画化作品について、どう思っていますか?

「『ある貴婦人の肖像』(ジェーン・カンピオン監督)はとても好きでした。実は、私たちはこの作品を20年前に撮るはずだったのですが、お金がかかりすぎるということで見送ったのです」

−−ヘンリー・ジェイムズの後期の作品は、曖昧で難解ということで悪名高いのですが、「金色の盃」は読者の数だけ違った意見があります。あなたはアイヴォリーと意見の一致を見たのでしょうか?

「脚本を読んで、彼は何箇所か不満を述べましたが、基本的には私たちの意見は最初から一致していたと思います。それから細部の合意に達するようにしたのです」