プロダクション・ノート

●アイヴォリーを魅了したジェイムズの「金色の盃」

  ヘンリー・ジェイムズの小説は、ジェイムズ・アイヴォリーとイスマイール・マーチャントを、いつも魅了していた。しかし20世紀初頭のヨーロッパ世界を再現することは莫大な予算を要求することから、手がけたのはまずアメリカが舞台の作品『ヨーロピアンズ』(原作は「ヨーロッパ人」)と『ボストニアン』(原作は「ボストンの人々」)だった。そして彼らは、いよいよ念願の「ある婦人の肖像」に取りかかろうと、脚本を準備し、グレン・クローズの出演の内諾まで取りつけていたところへ、ジェーン・カンピオンの監督作品(『ある貴婦人の肖像』)が撮影に入ったことを知らされたのである。次に準備した「鳩の翼」もやはり同様な経路をたどった。そうして行き着いたのが、この『金色の嘘』の原作「金色の盃」だった。

 難解で有名なこの小説をアイヴォリー自身も読み通せずにいたのだが、ルース・プラーヴァー・ジャブヴァーラが、脚色を強く希望し、アイヴォリーは再度原作に挑戦した。そして今度は彼の心をとらえて離さなかったのである。彼のように国外で暮らすことの多いアメリカ人の心情の精密な描写に心底、共感と感嘆の念を抱き、同時に激しい情念のほとばしりで成立したストーリーを映画にすることに、彼は強い意欲を掻き立てられた。そしてその結果は、彼に「この作品でとうとうヘンリー・ジェイムズとの物語をハッピー・エンドに終らせることができた」とまで言わせるほどの成果をあげたのである。

●ロンドン中の骨董屋から集められた時代を表現する逸品の数々

 キャスティングそのものは比較的容易だった。というのも、俳優の誰もが、カトリーヌ・ドヌーヴも含めてマーチャント・アイヴォリーの映画に出演希望を申し出ていたからだ。そのために助演に至るまで、実現可能な最高のキャストを手にすることができた。

 マーチャント・アイヴォリーの映画では、いつもそうした俳優たちの競演と同様に、美術や装置が素晴らしい役割を果たすのだが、今回はいつにもまして豪華なロケセットが用意された。イギリス中東部リンカンシャー州のバークレイ・ハウスは、エクスター公爵夫人のエリザベス朝時代の荘園だが、この屋敷と、イギリス中部ラトランド州にある公爵所有のベルヴォワール城がヴァーヴァー氏の住む館「フォーンズ荘」として撮影された。マギーとアメリーゴ公爵の住居には、庭と外観はロンドンのカールトン・ハウス・テラス、そして内部は公爵所有のミドルセックスにあるサイオン・ハウス、そのいくつかの小部屋は、ヴァーヴァー氏のロンドンの屋敷としても撮影に使用された。

 そのほか、ロンドン市長の住まいであるマンション・ハウス、同じく一時は王室の館だったロンドンのランカスター・ハウス、またトルマック男爵家が19代に渡って住みつづけた、イギリス東部イースト・アングリアのヘルミンガム・ホールが使用された。

 しかし、これらの建物がそのまま演出意図を満たしたわけではない。登場人物たちの性格、境遇、当時の時代環境にあわせて大掛かりな模様替えがほどこされたのだ。厚い詰めものの入った肘掛け椅子、留めボタンが深く沈みこんだソファー、18世紀の洗練された家具、金を塗ったテーブル、ペチコートのようなかさのついたランプ、それらがロンドン中の骨董屋から集められた。

●当時の写真や絵画を参考に再現された豪華な美術セット

 照明は、室内がさながらガス灯やロウソクで照らされているような工夫がこらされ、スタンリー・キューブリック監督の『バリー・リンドン』に匹敵する効果をあげている。事実、バークレイ・ハウスは1950年代まで電気がなかったのだ。

 しかしアイヴォリーは、それらを決して古色蒼然とは見せていない。清潔で色鮮やかな室内に仕上げているのだ。「1900年にはすべて新品だったのだから。そして登場人物たちはそこで最も快適に暮らしていたということを忘れてはいけない」というのがアイヴォリーの演出プランだった。建物の古ぼけた部分を隠すためにさまざまな小道具、アクセサリーが見事に配置されている。

 こうしたセットはすべて当時の写真、または絵画を参考に選ばれた。ヘンリー・ジェイムズは時にはマントルピースの時計を詳細に描写したりすることがあるのに、「金色の盃」に限っていえば家具や小物の具体的な描写はほとんどない。そのため美術スタッフは、当時の室内を描いたホイッスラー、サージェント、ボナールの絵を参照し、当時の貴族がどんな環境に暮らし、どんな趣味で室内を装飾していたかを学んだ。特にジェイムズ・ティッソ(ベルギーの画家で、19世紀の終り頃、イギリスとフランスで活躍)は、ヘンリー・ジェイムズの世界に相応しい、素晴らしい室内画を描いていて、美術監督のサンダースに大きなインスピレーションを与えたのだった。