−−どういう作業の進め方をしたのですか?

「私たちは現在、ふたりともニューヨーク住まいですから、昔のようにインドとアメリカで郵便のやり取りをすることはなくなりました。ですが、やはり以前のように、まず私ひとりが幾つかの草案を書き、彼に渡します。その後、彼は余白に自分の意見を書き入れて返してくるので、それに基づいて書き直すわけです。そうして数ヵ月後にふたりで会い、ようやく共同作業が始まるというわけです。細部にいたるまで意見が一致すると、彼は撮影に出発し、私は何もすることがなくなります。撮影が終ってラッシュを見て、編集室でまたふたりの作業が続くというわけです」

−−ということは編集に参加するのですね。

「そうです。けれど、それ以前のキャスティングや現場の決定にはまったく参加しません」

−−映画『金色の嘘』は、ルネッサンス時代のイタリアから始まりますが、あれは誰のアイディアだったのですか?

「私です。アメリーゴ公爵の身元を、どう観客に伝えようかということで思いついたのですが、最初からあのシーンは脚本に入れておきました」

−−あなたの脚本では、公爵の役割はかなりアダム・ヴァーヴァーに近い人物ですね?

「まさにその通りです。原作ではラスト近くになるにつれ、アダム・ヴァーヴァーの存在はかなり曖昧になっていきます。彼がどんな考えでいるのかさえ、はっきりしません。それで暗示的な存在として、公爵を前面に押し出したわけです」

−−あなたの脚本では、ヴァーヴァー氏は妻の姦通をはっきり知っているように見えますが?

「そうです。彼は実に頭が切れます。鈍い人間では、億万長者や芸術家のパトロンにはなれませんからね。彼はすべての状況を操っているのです。ただ沈黙を保っているだけで、誰が何を考えているのか、はっきり判っています」

−−原作にあるヴァーヴァー父娘の近親相姦的なニュアンスとか、弱いものを踏み潰すような暗い面がなく、むしろ彼らに大変好意的なのに驚いたのですが?

「まったく好意的です。私は、ジェイムズはマギーという人物を愛していたと思っています。ほかのどの作品の、どのような人物よりも愛し、その中にのめりこんでいったのだと思います。シャーロットとアメリーゴは確かに犠牲者ですが、それは社会の犠牲になったのです。彼らが持っているものは何もなくて、ヴァーヴァー父娘に依存していたのですから」

−−一方で、アメリーゴ公爵はかなり活発な人間になっていますね。原作にはない自転車レースで勝ったりするシーンがありますが。

「シャーロットとマギーという、ふたりの女性から愛される人物です。生気のない人間では、物語の中心人物としては務まらないでしょう」

−−ジェイムズのほかの作品を、これから手がけるつもりは?

「いいえ、ありません。私は『金色の盃』は彼の最高傑作であり、最後の小説だと思っています。ほかに特別に取りあげたいと思う小説は、もうありません」