この映画にはさまざまな主題が込められていると思いますが?
PT「まさにそれが、僕がこの脚本を一目で気に入った理由さ。
単純で、弱いくらいに見える話なのに、最後には愛が、切望が、人間の尊重が、孤独がテーマとして浮かびあがってくる。そして、恐れと自己の探求がね。
それはまったくパトリス・ルコントのカメラの動きそのままなんだよね。移動遊園地の中をあちらこちらとぶらつきながら、不意にふたりのところで立ち止まる。でもちょっと偶然のようにという感じで。
この偶然がまさに的を射たものなんだよね。というのもふたりの存在は関心を持つに値し、むしろ見事なくらいで、立派に素晴らしい物語の中に納まるというものなんだから。でも他人は彼らの側を通り過ぎても何の注意も払わないだろうという感じ。
そして事実、人は毎日毎日、フェリックスとローラのような人間の側を通り過ぎているんだから。この平凡な外見の下に、もしも注意深く観察したら、そういう人たちがしばしば素晴らしい宝物を持っていることに気がつくはずさ。言葉やお喋りとは無縁な存在。
大体、もともとの脚本でも、本当に言葉が集約されていて、それをパトリスが編集でさらに切り捨てたんだからね」
これまでパトリス・ルコントは、こんなに俳優にカメラを近づけて映画を撮ったことはないと思いますが?
PT「これにはびっくりしたよ。
僕だって今まで、こんなに近くから撮られたことなんてなかったのだから!
気になって仕方がなかったね。これまでの映画じゃ、僕の役が何かを伝えるということで撮られていると思っていたんだ。
たとえば『コナン大尉』では戦争をするということだし、『今日から始まる』では教師が子供たちと結ばれていて、事態を変えていかなきゃいけないと行動するからという具合にね。
ところがこの場合は、僕が僕だから、彼女が彼女だからということだけで映画を撮るんだから、本当に気になってならなかったんだ。演技だけではなく、自分の感覚的欲望をそのままの姿で見せるというのも、この映画で味わって面白かったことだけど、でも、恐いことだな、やっぱり僕には」
愛だけに没頭した演技をするということで何か特別な喜びや楽しみがありましたか?
PT「全然。すっかり動揺してしまって。
撮影前にパトリスとシーンを想像してみようとしたけど、いつもありきたりのベッドシーンのイメージしか湧いてこないんだね。主意主義に陥るというか、頭より本能の問題なんだということになって、ふたりとも嫌なはずなのに、ちょっとキッチュなものにしたりとか、さんざん使い古されたアイディアしか浮かんでこなくてね。
結局は“撮影現場に入れば、どうにかなるだろう”ということで終ったんだよね。
この作品は人物の存在感、眼差し、感情の高ぶりということで決まるという映画なんだから、シャルロットと僕はどう見つめあい、どう応えたらいいのだろうとか、手が触れあったら、どう反応したらいいのかとか、ふたりが二羽の小鳥のようにくっつくときには……、それこそ気詰まりそのものなんじゃないかって考えたりしてね。困ったよ」
「役の準備はまさに大仕事」だとあなたは言ってますが、フェリックスの役作りはどんなふうに?
PT「一般的に、ある種の職業に対して抱くイメージというのは映画から来ていることが多くて、特にアメリカ映画の影響が大きいと思うけれど、僕はそんなイメージをまったく信用していないんだ。
たとえば、移動遊園地で働く男なら決まって刺青をしていて、小さな帽子をかぶり、そしてしわがれ声!ところが多くの連中はタバコを吸わないし、全員がベンツを乗り回しているわけじゃないんだね。刺青をしていない人には、掃いて捨てるほど出会ったよ!僕はほんのちょっともみ上げを長くしただけで、でも結局みんな、やくざ者に見ているんだよね。そういうものだと思っている、そうだと決め付けているんだよ。これは現代の悪い兆候というか、ちょっと良くないことだと思うね。事実はそうじゃなくて、結局世間というものは広く、思っている以上に豊かで、面白く、謎に満ちているものだから。生きている人の真実の姿を知って、僕はいつも驚かされるし、感心させられるんだ。
で、演じるということは、社会通念と、その通念に実は反するような、人の知らない事実、現実の面白さをうまく混ぜあわせることなんじゃないだろうか。僕には社会通念の知識しか持っていないから、出かけていって、彼らからいろいろ話を聞いて、観察するんだ。とにかく、外見を作ることが役作りだというやり方は、僕は好きじゃない。それには自分の体つきや容貌というものを見極めておく必要があるのだろうが、僕は見極めることができないし、見極めたいとも思わない。自分の顔が映画じゃどう映るかなんて、心配したくもないしね。不安になるだけだよ。自分の身体がどんな効果を生むか知り始めたら、その瞬間からたくさんの可能性が奪われていくように思える。自分が出せると知っている表情、表現に頼りきってしまうようになるんだよ。
結局、俳優であるということは、青春時代特有の、あの自分探しの悩みと迷いを、永遠に引きずることを受け入れるものだと思う。自分というものを作家や演出家の手引きの中に見つけようとすることなんじゃないだろうか。
だから僕がフェリックスという男に興味を抱いたのは、彼の外見にではなく、ローラに対して彼が見せる心、彼女を大切にするという心の美点だったんだ。普通だったら、すぐに問いつめると思うんだ。“君はどういう人間なんだ?どこから来たんだ?両親は、あの男とはどんな関係なんだ?”ってね。けれど、フェリックスは彼女を失なってしまうのがあまりにも恐くて、我慢して待とう、黙っているほうがいいと思うんだね。
そして自分が彼女の側についていることだけを伝えようとする。僕は彼のこの受身の態度、大切に扱う心が本当に好きなんだ」
特に感動的なシーンで、あなたはすごい顔を作っていますね?
PT「喧嘩で怪我をした後のシーンのことだね。
パトリスにこう提案したんだ。“映画の中で殴られた顔っていうのはいいよね。生々しい傷跡や小さな絆創膏っていうのが、すごく男らしく見えるからね!”って。
ルーマニアで一度ひどく顔を殴られたことがあったんだ。次の日の顔というのが見られたものじゃないことを知ってるけど、唇は腫れあがり、目の周りは腐ったバターのように黒ずんで、鼻は真っ赤、血は固まってこびりついているという状態なんだが、何よりも馬鹿そのものって顔なんだ!実は僕は、おとなしいフェリックスに、この馬鹿な顔をさせたかったんだ。いつもは抑えがきく彼に、後で理由が思い出せないようなつまらないことが原因で喧嘩をさせてね。別にフェリックスに観客が感情移入をしてもらわなくてもいいけど、その気持ちを判ってもらえたら嬉しいと思っている。
“馬鹿な喧嘩をしたくなる気持ちが判るなあ。俺だって自棄になって、あんな喧嘩をするかもしれない”とか、“僕のときも、あれよりましな顔っていうわけじゃなかったな!”とか言ってもらえればね」
この映画は密度の高い俳優の演技と細かい情感の交錯で見せていますが、シャルロット・ゲンスブールとの演技の交流はどんなものでしたか?
PT「演技というものは、俳優同士が一緒に作りあげるものなんだよね。だから、一緒に演技するということは、ボクシングの闘いのようなものとはまったく違うんだ。
シャルロットとは、すごくうまくいったよ。よく話しあい、台詞を一緒に覚えて、まったく自然にふたりの場面を作りあげることができた。俳優としての仕事へのアプローチの仕方がとても似ていて、同じように素直だったからね。俳優の中には恐ろしいほど事を難しく考える傾向にかぶれて、リハーサルの時は自分のやりたい演技をずっと隠していて、“本番”になって、アッと驚かせなきゃいけないのだと信じ込んでいる人もいるけど、それはまったくの間違い。相手を驚かせちゃダメなんだ、一緒に演じなければ。共演者の意図と逆のことをしたり、足を引っ張ったりするために演技しているんじゃないのだからね。
僕の役にさっき言った優しさと心の美点を与えたいと思ったら、全体の流れに自分を委ねるのが一番なんだ。僕は“致命的な失敗”という言葉が嫌いでね。これは俳優たちのインタヴューで使われすぎたからかな。
とにかく、俳優というものが演技に命がけで取り組んでいるのだという印象を持つよね……。
でも、今回ももちろん、ときどきシャルロットとうまく演技が噛みあわないことがあったんだ。相手の動きに自分が合わせられなかったり、彼女がついてこなかったり、自分が思い通りにならなかったりして。こういうことになるのは、信頼感が欠如するからなんだ。もしも他の人間、シャルロットでもパトリスでもかまわない、あるいはスタッフの誰でもいい、その人間から自分が好感をもって受け入れられているという感じ、その信頼感が揺らぐと、僕は自分の殻に完全に閉じこもってしまうんだ。
僕は持っているものをすべて投げ与えることができるけど、またすべてを奪い返してしまうこともある、悪意のある一言、話、不信ひとつでね」
「愛があれば、人は何だってできる」とローラが言います。あなたもそう思いますか?
PT「もちろん、何だってできるよ。その相手に逆らって、相手が変わるように仕向けることも含めてね。また、相手に対する愛情から、相手を否定する勇気というのも生まれると思うんだ。相手をダメにしちゃうとか、相手との結びつきを切るということじゃないんだよ。この言葉は、何でもすべて犠牲にして悔いないということだけを意味するわけじゃないと思うんだ。相手に逆らってこう言える勇気も含まれていると思う。つまり“僕はこの通りの人間なんだ。そういう僕を認めて、尊重してくれ。そして僕がこう言うのも、本当に君を愛しているからなんだ”ってね。実際、愛はたくさんのことを可能にすると思う。僕には今言った勇気、これをもたらせてくれるということがいいと思うな。愛が生まれると、自分が少し軽いものに思えてくる。そんなに重要には思えなくなるんだ。子供が生まれたり恋しているとはっきり判ることだけど、自分がもう世界の中心ではなくなってしまうんだよ。子供の命、彼女のことの方が、自分なんかよりも大事になる。僕は愛が生み出す、この力が素晴らしいと思うんだよ」
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