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パトリス・ルコントと一緒に仕事をすることになったいきさつというのは?

フィリップ・トレトン(以下PT)「これがおかしな話でね。ふたりで、ちょっとした犬みたいに、お互いのことをくんくん嗅ぎまわっていたことが続いたんだよね。
最初に会ったのはセザール賞の授賞式で、彼は『リディキュール』で、僕は『コナン大尉』で受賞したときだった。このとき、パトリスは『ハーフ・ア・チャンス』の中のある役をやらないかと言ってくれたので、僕は脚本のテーマを膨らませてもらえないかと頼んだんだ。でも、それはどちらも実現しなかった。結局、お互いが断るということで知りあいになれたというわけだ。それでふたりで“またいつか機会があったらね!”と言って別れたんだ。
彼が、『フェリックスとローラ』の脚本を読むようにと手渡したとき、“シャルロットと君を主役にと思っているのだが”と言ったんだよ。それで僕は脚本を読んで、すっかり気に入ったというわけなんだ」


あなたはあまり映画には出演しないのに、この作品のどこが気に入ったのでしょう?

PT「普通のラヴストーリーとは違う、状況の特異さが気に入ったというわけさ。
これにパトリスの個性と、脚本のユニークさ、シャルロットが相手なら生まれそうな思いがけない演技の合意。そういうものがうまく噛みあえば、強いインパクトを持った作品になるかもしれないと思ったんだよ。
映画というのは錬金術みたいなものさ。スタッフ全員の親密さと思慮、感情の調合から生まれるものだからね。そういう理由に加えて、『コナン大尉』と『今日から始まる』という、僕にとっては難しかった出演作の後で、ラヴストーリーを演じることが、とても楽しいのではと思えたんだ。
『フェリックスとローラ』、これは登場人物を“英雄化”しないラヴストーリーなんだよね。つつましやかで単純な人間、感情や行動がちょっと時代遅れに思われるような人間、主導力や強い意志とは無縁で、それでも世間の悲惨さに涙を流すというタイプの人間の世界の映画なんだ」


フェリックスはまったくどこででも見受けられるタイプの人間ですね。

PT「フェリックスは英雄じゃない。ただローラを好きで好きでたまらないだけなんだ。彼女を敬い、愛しているから、彼女を理解したくて、離れずについていこうとするんだ。たとえ何が起ころうとね。
僕の方からパトリスに提案したんだけど、映画の最後でフェリックスがローラに対して初めて心底怒りをぶつけるシーンがある。嫌気がさして、爆発したヒステリックな怒りではなく、これはあくまで従順でおとなしい男の怒りなんだけど、彼はそのときこう言うんだ。
“もう止めてくれ!全部ばらして欲しいなんて頼んでいるんじゃない、君のこれまでのすべての記録を見せてくれと言ってるんじゃないんだ。ただ、俺の気持ちも尊重して欲しい”と。
パトリスとはフェリックスの持つ、こうした実直な面について話しあうことが、よくあったね」


フェリックスはローラに完全に一目惚れしてしまうわけですね?

PT「それがこの人物像の美しいところなんだ。彼はローラのような女性がある日突然、自分のバンパーカーの世界に舞い降りてくるなんて夢にも思っていなかったんだ。
フェリックスは30歳に手が届こうとしていて、過去にはあちらこちらで浮いた話もあったのだろうが、彼の仕事、移動して歩く生活のために、本当の恋物語などというものはすっかり断念していたんだね。だから彼には信じられないことだったんだ。これだけ綺麗な女性、この優雅さ、この魅力を発散している女性が、自分に興味を抱いてくれるなんてことが。
ローラには何て言ったらいいのだろう、庶民の貴族というか、庶民の世界で生きる女性の気品のようなものがあって、タイプは違うかもしれないけれど、アルレッティが発散するようなエレガンスがあるんだ。50年代のフランス映画によく見られる、ギャバンとアルレッティのコンビがよく演じていた恋人たちの関係、その感情というものを、パトリスと一緒によく連想したものさ」


ローラが手元から離れていけばいくほど、フェリックスは固執していきます!

PT「それはそうじゃないかい?
それまでは彼自身が言うように、“女の子はみんな話してくれた、僕が聞こうとしなかったことまでも”というのが当たり前だったのだから。別にバシュンの歌のタイトルに引っ掛けたいわけじゃないけど、“愛のめまい”という感じが彼の脳裏にあるんだ。動揺し、それまではしたことのない問いかけが、始まる。場所を空けなければいけなくなる。トレイラーハウスの中にある自分のものを少し捨てたりしなければいけなくなる。
愛すること、それはまさに場所を空けるということなんだよ。愛することで腹立たしいのは、魅きつけられるには拒絶や近寄りがたさがなければいけないということさ。あるいはむずむずさせられたり、気持ちをかきたてられるには、近寄りがたいというふりをしてもらわなければいけない。即座に許そうとする女の子を、手に入れたいとは必ずしも思うわけじゃないよね。俳優という職業においても、あまりに全部をさらけ出して見せるようなタイプは面白いとは思えない。
自分が観客のときだって、舞台上で起きていることをあれやこれやと探らせてもらうほうが楽しいからね。もちろん、だからといって何の演技もしないということじゃないよ。物事を垣間見させるに充分な微妙さがあり、観客の好奇心を煽って、その微妙さの中に隠されたものを探させるようにしなければ。
だから、誠実な俳優なら、自分と役柄とは“同一人物”なんだということは、絶対に言えなくなってしまう。ひとつの役が持っているさまざまな要素から、俳優は結局はいくつかを把握できるにすぎないのだから。役柄の周囲をめぐるだけなんだよ。もし別の俳優がフェリックスを演じたならば、彼は僕とは違うフェリックスの別な面を見せるだろうし、役柄そのものと、彼が理解した役柄の間をやっぱり揺れ動くことになるはずさ。ある時は、その解釈が、その時の流行、その時の思想の流れによって一致することがあるかもしれない、でも、それは一時期の現象、そしてそれは一時期しか続くはずがないんだ。
そこにこそ、まさにこの職業の偉大さと面白さがあると思うんだよ。届かぬ星を追い求めるという側面にね!」


夢の中に自分の人生を作りあげるローラという女性を理解できますか?

PT「もちろん。人は誰だって別な人生に憧れるものだから!
他の人生を生きたい、別な人間になりたいと思わない人間なんて、とっても苦しいはずだと思う。
つまり、あるがままの自分を受け入れるには、大変勇気のいることなんじゃないかな。人間というものは絶えず他の自分を追い求めているものだから。そうでなければ、俳優とかモデルとか、他人の前に自分をさらけ出す人間は、みんな存在する意味がなくなっちゃうよ。僕らが今生きている社会というものはそういう人の気持ちを助長していると思うよ。俳優たちの仕事はそういう人たちのイマジネーションを誘い、妄想の、幻想の支えとなっているんだ」



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