君がついた嘘の数で、愛の深さをはかりたい。



ひとりの男と女の運命的な一瞬の恋の出逢いを、モノクロームの映像の中に鮮烈に焼きつけた『橋の上の娘』から2年、愛の名匠パトリス・ルコントが再び取り組んだのは、“孤独”という名の病に取り憑かれた娘が、ひとりの男が彼女に捧げた信頼を、自らの自信に変えることで、その病に打ち克ち、やがて真実の愛を掴みとるまでをミステリアスかつシンプルに描いた、ピュアな愛の物語だった。
ルコントがこのシンプルなラヴストーリーを作るきっかけとなったのは、昔から好きだったという歌手アラン・バシュングの歌う“Dehors”(外)という曲を聴いていた時のことだったという。彼はその曲を1時間以上リピートして聴き続け、浮かびあがったのが、無表情の仮面をかぶったまま、バンパーカーに乗り続けるひとりの娘のイメージだった。

そしてルコントは、その“Dehors”の歌詞からとった“se serrer”(「身を寄せあう」の意)と、やはりアランの曲で“Vertige de l'amour”(愛のめまい)、『フェリックスとローラ』を、本作のタイトル候補として、どれと特定しないまま製作に入る。
結局、ふたりの究極の愛に言及した「フェリックスとローラ」に決定するのだが、実は「身を寄せあう“se serrer”」は、この映画の重要なキーワードとなっている。映画の中に幾度となく挿入される、フェリックスとローラの抱擁のカット。『橋の上の娘』のラストシーンでもくり返し使われた抱擁シーンは、今回の作品ではさらに主人公たちの感情の昂りを演出していて、大きな感動を喚ぶ。

今回ヒロインを務めるのは、近年女優としての躍進めざましい、シャルロット・ゲンズブール。孤独という壁を自ら築くことで、素直に愛を受け入れることができない、内省的な女性ローラを演じている。
“ローラ”という名前は、フランス人にとって特別な意味を持つ。マックス・オフュルスの『歴史は女で作られる』のヒロイン、ローラ・モンテスが、映画の冒頭、移動遊園地に姿を現わして以来、ローラという名前はフランス映画のヒロインの代名詞なのだ。そして“すべてのフランス女性はローラである”と言わしめたジャック・ドゥミの『ローラ』のアヌーク・エーメ、最近では『野性の夜に』のロマーヌ・ボーランジェらと並んで、こうして映画史の残る“ローラ伝説”にシャルロットも名を連ねることになった。

一方のフェリックスを演じるのは、コメディ・フランセーズの名優で、映画ではベルトラン・タヴェルニエの『コナン大尉』や『今日から始まる』で気骨ある男性像を凛とした毅然さで演じてきた、フィリップ・トレトン。
まるで見つめることだけが愛の手段とでも言うかのように、ローラの過去を詮索することなく、本心を押し殺して、ひたすらローラを守り支え続けながらも、時に「どうして愛してしまったのだろう?」と自問する純情男の一途な愛の想いを、無言の演技の裡に秘める彼の演技には、女性ファンならずとも心揺さぶられるはずだ。

そしてローラにまとわりつく不安の影であるクラブ歌手を演じるのが、アラン・バシュング。シュールな歌詞にアンニュイなボーカルが、今は亡きセルジュ・ゲンズブールを彷佛とさせ、フランスでは知らない者はいないというほどのカリスマ・シンガーとしてその名を轟かせている。

スタッフも、これまでのルコント作品を支え続けた精鋭たちが顔を揃えた。
撮影は、『橋の上の娘』のジャン=マリー・ドルージュ。
編集は『レ・ブロンゼ〜日焼けした連中』で助手となり、『愛しのエレーヌ〜ルルーとペルシエの事件簿』で1本立ちして以来、名コラボレーションを築いているジョエル・アッシュ。
製作は『タンデム』以来、『仕立て屋の恋』『リディキュール』など、ルコントの作家性を支え続けているフィリップ・カルカッソンヌ。ルコントは新作『歓楽通り』でもカルカッソンヌと組んでいる。

そして何といっても、ルコント・ファンにとって嬉しいのは、『髪結いの亭主』以来、10年ぶりとなるルコントとクロード・クロッツの脚本コンビの復活だろう。
微笑んだときにローラの目尻に浮かぶしわを褒めるフェリックスの言葉や、灰色の服の男への忠告、あるいは3分間写真でローラに伝えるフェリックスの複雑な胸のうちなど、ルコントとクロッツが紡ぎだした珠玉のような名台詞の数々が、愛の世界をより芳醇で味わい深いものにしているのだ。