このふたりの苦悩への出発点を、お祭り騒ぎの賑やかさの中に設定したことは大変面白いと思いました。
PL「お祭り騒ぎというものは、私たちの生きている世界を、少しばかり象徴的に圧縮したような世界です。その中でも特に耳障りで大きな音がし、煩雑で渾沌とし、色彩に溢れ音楽つきのバンパー・カーは、その象徴の最たるものに思えました。だってバンパー・カーでは、誰にもぶつけないようにして乗り回す人たち、つまり良人もいれば、またぶつけることに熱中する人、つまり悪人ががいます。何回乗っても平気な人もいれば、一回で目を廻す人がいます…。
これは私が考える人間関係の理想的な縮図のようなものです。
面白いことがあって、最近初めてスクリーンで、ジョルシュ・シムノンの『仕立て屋の恋』を1946年にジュリアン・デュヴィヴィエが映画化した「パニック」“Panique”を見たのです。この中でミシェル・シモンがバンパー・カーに乗る場面があり、他の車がみんな彼にぶつかってくるのです。彼の存在が何となくみんなの反感をかっていたからです。ミシェル・シモンはそれを平然と受け流すのですが、それが彼の尊厳を見事に象徴しているのです!私はこのシーンを完全に忘れていました。誰かが『フェリックスとローラ』はこのシーンから発想されたのだ、などと言ったら、私は誓ってそうではないと答えるより仕方がないのですが、一方では、他の映画のシーンがしっかりと私の頭の中に刻み込まれ、そのまま眠り込んでいたのに、自分が映画を撮るときに無意識下に甦ってくるということがあるものです」
こうしたお祭り騒ぎの場所というのは、庶民の楽しみそのものですが?
PL「そうです、だから好きなのです。
私は、英雄、偉人といわれるような人物に興味はありません。“普通の人 normaux”、最近では“本当の人間 les vrais gens”というようですが、そうした人々にしか興味がないし、惹きつけられもしません。こういう場所に、富裕階級や特権階級の人たちが足を運ぶことなどありえないでしょう。その方がいいと思います。
私は庶民的な映画を作りたいと思ったのです。そこに息づく人たちの姿、その人たちの感情表現を描きたいのです」
ところどころとても溌剌と陽気に、楽しくなるシーンがあります。ローラが空中ブランコに乗るところとか。そういったシーンでは、(マルセル・)カルネの映画やドワノーの写真のような、いわゆる詩的リアリズムを思い起こします。
PL「そうです、まさに私はそれらを参考にしたのです。ちょっと時代感覚が古くなりましたし、きれいごとにも見えるのですが、それでもこうして純粋に庶民の喜び、“普通の人々”のドラマを映画にしようとしたときに、イマジネーションというものがどのようなものでなければいけないかということを教えてくれるのです。
どちらかというと影の方を向いている女と、陽の当たる方へ進みたいと思っている男が出会った瞬間から、映画はそれぞれの面を交互に映し出します。
しかしそれ以上に映画は先へと先へと進んで、純粋に優しい感情が満ち溢れる瞬間を追い求めていくのです。自分の映画ですからこういう言い方はおかしいかもしれませんが、私がこの映画で好きな瞬間のひとつは、ローラが何も告げずに姿を消してしまった後、夜が来て、フェリックスが店じまいをするところです。彼の顔には淋しさと空虚さがはっきりと窺えます。と、暗闇の中でローラがバンパー・カーに乗っているのを見つけるのです。
“まだ閉めないで、、あなたともう少しのっていたいの……”と彼女が言うと、フェリックスは音楽をかけます。オーティス・レディングの「愛しすぎて“I've Been
Loving you Too Long”」というとても美しいスローの曲。そしてバンパー・カーのスペースがダンスフロアーと化し、再会したふたり、今はもう離れられないくらい愛しあっているふたりが、身体を寄せあって一緒に踊るシーンです。この映画の魂はまさにここにあると、私には思えるのです」
フィリップ・トレトンとシャルロット・ゲンズブールをカップルとしてキャスティングしようというアイディアはどこから出てきたのですか?
PL「この脚本を書いているときは、キャスティングのことは考えずに、キャラクター像の造型に集中しました。それからキャスティングに入り、候補になるような俳優たちと会ったのですが、可能性があったりなかったりで、いろいろ迷っていたのです。
ある土曜の昼、2000年2月のことです。セザール賞のノミネートが発表され、恒例のカフェ・フーケでの昼食会に出たのですが、私の視野に、隣の席のフリップ・トレトン、その右奥のシャルロット・ゲンズブールのふたりが、まったく同時に入ってきたのです。一瞬にして、私は閃きました。“このふたりだ!”と。彼らこそがこの物語のために存在しているんじゃないかと、直感しました。面白いでしょう。ふたりにはこのことは秘密ですが」
この歌手の役に、どうしてバッシュングを選んだのでしょうか?
PL「実は、彼のことをよく知っているという印象があったのです。好きな歌手に対しては誰でもそうではないですか?
彼が良い仕事を続け、スタイルが詩的に深まっていけばいくほど、私はますます好きになっていきました。さっき何を参考にしたかという話がありましたね。そこへ話を戻すと、脚本を書き始めた頃、この映画の出来あがりを想定しながら、よくこう自分に言い聞かせていたのです。“バッシュングが歌い、ロベール・ドワノーが写真にするような映画を作るのだ”と」
「愛があれば、人はなんだってできる」とローラが言います。あなた自身はどういう考えですか?
PL「もちろん、その台詞の通りです!
けれど、ダンスホールの歌手を殺すなんてことはできないですよ!愛があれば、普段は決してできないようなことがたくさん可能になると思います。
でも、何だってできるというわけにはいかないと思います。馬鹿げたことは山ほどできるかもしれません。しかし、何でもということはないでしょう。
それから、馬鹿げたことばかりではなく、素晴らしい、美しいこともたくさんできると思います。ロマンティックな夢想に浸らなくとも、その唯一の真実の証として、愛があればこれに勝るものはないと人に確信させてしまうからです。本当の愛を得た人は、どこへでもかまいません、とにかく何も考えずに歩き出せるのです。他のすべては、それから後のことになるのです。本当に愛した人とだったら、不意に飛行機で1時間以内にこの世の果てへ行くことになっても、出発できるのです。戻ってきてから“君にとって、とても大事な話がパーになったじゃないか!”と言われても諦められるのです。
しかし、殺したり死んだりすることは、やっぱりできないでしょうね。でも、ひょっとしたら……。いや、私はそれほどロマンティストではありません」
|